意識的に創造を選ぶパート3-自分の本質の中 +ガイアからのメッセージ#3
2013年12月17日
Choosing
Conscious Creation Part 3 - Inside My SELF
12-17-13Ihttp://www.suzanneliephd.blogspot.co.uk/2013/12/choosing-conscious-creation-part-3.html
自分の本質の中
今週、私は休みをとって自分の本質と融合するために内側に行きました。そして「意識的な創造を選ぶ」パート1と2を受け取りました。今朝、「最後の飾りつけ」を受け取りました。眠っている状態から目覚めた状態での瞑想へと、スムーズに移行しました。私の脳が覚えられなかったことを、私の指が覚えていてキーを打ってくれればいいのですが。あの経験の「いま」の中にいるために、このメッセージは「いま」の現在形で記述します。
私は、ある部屋にいる。天井はどこまでも高くて見えない。四角い部屋のようだが、壁は全て窓になっていて白いガーゼのカーテンがかかっている。カーテンは、ごくごくわずかに緩やかに揺れ、柔らかなそよ風の感触を思い出す。でも、そよ風の感触はない。私はすっかり自分自身の中にいるのだから。
「自分自身の中」が一体何を意味するか、私にはわからない。ただ、そう感じているのだ。
実際、この経験は全て私の感覚で成り立っている。私の思考は未知の未来に向かって一線上を前に進行するように教えられてきた。ところが、いまは私の知覚と感情の「いま」に従っている。
素晴らしいことに、何が起きているか考えたくもならない。「いま」に「ただ在る」状態を、思考で乱したくないから。ここに時間はなく、「ここ」が「私」の中をクリアにしてくれている。それでも、どのバージョンの私が思考を必要とするのか究明しながら、私はこの輝かしい光の部屋の至福感の中で流れ続ける。
もし体があったとしても私には分からない。本当のところは、気にもならない。この「いま」の中では、この至福の部屋が私の体だ。ただ、形をもたない身体だ。私の内なるビジョンの中で知覚する体。ただ、肉体的な感覚は全くない。何も聞こえないし、触感もない。
私にわかる限りでは、私は自分の本質のバージョンのうちのいくつかの中にいる。ただ、そんな分析も重要ではない。完全に、静かなる至福感にフォーカスしているから。ついに分析思考を手放すと、形のない私のエッセンス全体が光と無条件の愛と共に波のようにうねっている。
私にわかるのは、ただ呼吸していること。息を吐くごとに、この経験が深まってゆく。もう一度ゆっくり息を吸い、この「いま」の輝きを込め、息を吐くと共にその輝きが広がってゆくのを感じる。こうやって呼吸すると、私は部屋の中を上昇しているらしい。光の輝きがどんどん増し、明るくなってゆく。
私にはまだ体はない。ただ、自分の内にいるというクリアな目覚めだけ。私の中、私の中…。幸い、疑問に思ったり理解したり分析したい気持ちには全くならない。ただ静かなる至福感にフォーカスしている。そうしている事自体が、私をどこかへ連れていくようだ。この現実にこの言葉があてはまるなら、だけれど。
実際のところ、「どこ」というものもない。ただ「ここ」があるだけ。私の注意は静か至福感の中に留まっている。
他に知覚するものは何もない。この静かな至福感が私の注意の向け先を窓へと誘う。私は、この天井のない部屋の一番上まで上昇しているようだ。
移動した感覚はないが、突然私はベランダのようなところにいる。自分の感覚に焦点を合わせると、形もビジョンもない。私の感覚/感情はただ、「いま、ここ」だ。
「いま」、この「ここにいる」状態から私の注意をベランダに向けるような流れが起きている。私の、形なき体の背後に扉があるのを感じる。目前にベランダへと上る階段がある。
これは全て、自分の内側で起きている。その気づきはずっとあるままだ。私が部屋の中にいる間も、私は部屋の中ではなく自分の中にいる。一方で、部屋と私は完全に融合して一体化していて、内側とか外側という概念は一切ない。
ベランダでも同じ。私は自分の中にいる。同時に、ベランダの「いま」の中で、私とベランダは一つだ。私の注意の向け先はベランダを囲む木々に移る。すると、もうベランダは存在しない。
木々は私。私は木々。そして私達の融合したエッセンスは私の中にある-その私が誰であろうと。
私の注意の向け先がベランダに移り、内側に存在する全てがベランダの「外側」にあり、それが私の「内側」へと繋がっている。それが今、ベランダや木々さえ曖昧になってゆく。そして象徴的な意味が鮮明化する。
木々が呼んでいるのを感じる。木は私の大好きな「人々」だから。でも、形というものが持つ全ての意味が、もう見合わなくなっている。木々のエッセンスが私を呼んでいる。自然のエッセンスもだ。この呼びかけに応えると、私の気づきは「全てあるもの」へと広がってゆく。
ただ、全ては形を持たず、ピュアな潜在性として存在する。これに気づくと、私の周りに物理的な体があることに気づく。この経験から外れたところにいる、「私」を初めて認識したから。この「私」という経験は、私が体に注意を向けている時だけ存在する。
私の注意は、ベッドに横たわっている感覚へと移ってゆく。体が、私をその中に引っぱりこむ。私はベッドの上で横たわる。物理界にゆっくりと戻りながら、この経験と共に流れ、その一つ一つを味わいながら。
これを書き留めなければ、そう言いながら私はPCの所まで歩いてゆきながら自分の肉体になんとか収まる。外の世界に戻ってきたのだ。でも、内にいる自分を感じることができる。
ガイアからのメッセージ#3(youtube)