『コード・ブレイカーズ
#2』と無料mp3 スザンヌ・リーとアークトゥルス人
2015年3月7日
翻訳:Tatsuhiko さん
Code
Breakers #2 and Free mp3 - Suzanne Lie and the Arcturians
3-7-15
コード・ブレイカーズ #2
スザンヌ・リーとアークトゥルス人
録音の無料ダウンロード
https://www.dropbox.com/s/678c2vn4jbic49b/CodeBreakers%232%20copy.mp3?dl=0
またお会いしましたね。私は『コード・ブレイカーズ
#2』と共に戻ってきました。私は今、とても多くの情報を受け取っており、それをすべて書き出すには量が多すぎます。なので私はそれを話して録音しました。私の大事な友人がそれを私のために書き起こしてくれました。だからあなたはそれを読むだけでなく、聴くことによっても活用できます。情報を取り込むためにより多くの感覚を使うことで、私たちはより多くの情報を理解することができます。
さあ、『コード・ブレイカーズ #1』を私が終えたところから再開しましょう。私たちが自身のフル・アウェアネスに移動するにつれて、人生のステージを逆に戻ってみることが重要である、と私は言いたいです。なぜなら私達のセルフの構成要素がそこには残されているからです。それは、向こう見ずな突進、性急な行動、三次元生活の恐怖、そして仕事、そういったものの中で失われた私たちの構成要素です。
『メイデン(乙女)』『ウォリアー(戦士)』というフェイズ、それは私たちの、二十代の初め頃から、親、あるいは責任のある大人になるまでの人生の局面を表しています。そのあと、私たちは『マザー(母)』『ファザー(父)』になります。そのあと、私たちは三つ目のステージに移行します。それは女性にとっては『メンター(指導者)』であり、男性にとっては『シージ(賢者)』というものです。
私たちの人生にはこの三つのフェイズがあります。また、それぞれのフェイズの中に、より小さい沢山のフェイズが入っています。ですが信じてください、もしあなたが二十代で、あなたがメンターのフェイズを経験していたと考えるなら、いいえ、それはあなたが六十代になったときのものとは完全に違います。
これら三つのフェイズについてもう少しお話したいと思います。最初のフェイズは、『メイデン』『ウォリアー』のフェイズです。ずっと昔に私が最初に書いたように、メイデンはいつも女性で、ウォリアーはいつも男性です。ですが今、それは本当は必要ではないのです。なぜなら沢山の女性の戦士がおり、男性は、かつては女性の仕事だと判断されていたような女性的才能を持つ能力があります。
このことがどれだけ重要なのかを、あなたは理解することができます。なぜなら両極性がひとつにくっつこうとし始めているからです。私が成長した1950年代では、少女が履くことができるのはスカートだけでした。私たちは年に二回ある『バミューダの日』という祭日にのみ、ズボンを履くことができました。私たちは、ガードルとナイロン・ストッキングを、私たちが何歳であろうと身につけている必要がありました。男の子たちは色のあるものを身につけることができませんでした。なぜならそれは男らしくなかったからです。彼らはグレーかブラウンかブルーのみを身につけることができました。
少年と少女の役割はとても強くその範囲を限定されており、両者の間には大きな溝がありました。今、そのギャップが減少しつつあるということが起きています。この三次元的な、どちらか一方、あるいはもう一方を選ぶしかないという状況は、その両者を共に持つことができるように変化しつつあるのです。
私たちが若かった頃、その当時の段階では、私たちは両者を共に持つことができるということを知りませんでした。それゆえに、とあるコア・ビリーフ(核となる信念)が私たちの中に構築されました。そのコア・ビリーフは言います。「ああ、私はそれをすることができません」と。ですから私たちはメイデンのフェイズの中に入っていき、私たちが積み上げた、それらのコア・ビリーフを見て、それらを自由にし、その私たち自身の構成要素に、こう言ってあげましょう。「あなたはできます。あなたは、あなたがしたいことを、なんでもできます。今や、あなたは多次元的な人間なのです。あなたのリアリティの、あの時代の中では持っていなかった自由を、今、あなたは持っているのです」と。
では現代における二十代初期のフェイズは、どのようなものかを見てみましょう。彼らは大人とはとても違っており、彼らは自分自身の道のリーダーです。それゆえに、その局面をすでに超えてしまっている私たちは、本当は常にそうであった、私たち自身の方法で表現することができたかもしれない、リーダーとしての自分を、過去に戻って探すことができます。
実は私が1970年代にいた頃、それはとても楽しい時代でした。私はその時代をコードブレイカーとして存在できたことを誇らしく思っています。私たちは過去に戻って、私たちがあのとき持っていた素晴らしい自由の感覚を取り戻す必要があります。
ですが、そのあと1980年代になると、皆、仕事を持ち、子育てを始めました。洗脳が始まったのです。洗脳は加速されていました。1980年代は大きな洗脳の時代でした。だから私たちは昔に戻って、それらの古いコードを打ち破り、1980年代に私たちが何を学んだのかを見つける必要があります。
今、あなたが1990年代と、それを超えて2000年代初頭と、9/11を見つめる時、それは非常に恐ろしい時代です。それは第三次世界大戦となるよう運命づけられた時代でした。ですが、とても沢山の私たちが、早くやって来て、肉体を持ちました。私たちは素晴らしい多次元セルフの断片を手にして、戦争のちょうど直前のタイムフレームへと入り込みました。私たちは洗脳を破り、さらにその洗脳を破るよう私たちは子供を育て上げました。だから私たちは9/11と共に始まるよう運命付けられていた第3次世界大戦を経験しなくてすんだのです。
私たちは自分自身を称賛する必要があります。なぜなら私たちは起こるかもしれなかったその現実の外に出て、こう言ったからです。「あぁ、ダメです。私は世界大戦の現実に参加しません。私はそれをしません!」私たちはそのリアリティの外に出て、私たちの子どもと友人の方を選びました。これこそが私たちが他のリアリティを創造できると気付き始めた最初の時です。もしこの特定の集合的リアリティは、私が選択したものでないとしても、ここは多次元世界であり、選ぶことのできる沢山のリアリティが存在していることを、今、私ははっきり実感しています。
戦争が起こるリアリティに参加することを私は選びません。このことを意識上にしっかりと保つことは今、とても重要です。私たちは宣言することができます。
「私たちは恐怖と戦争と否定性をベースとしたリアリティに参加することを拒否します」
「私は今、無条件の愛に立脚したリアリティに生きることを選択します」
「私は、私たちの五次元ライトボディ・セルフと、ライトボディ・プラネットへと変容していく美しいこのプロセスに参加することを選びます」
私たちがこの選択をすることを『実行し』、そして、私たちがそれを覚えておくことができたなら、私たちはその選択をしたことになります。そのリアリティを創造するという選択をすることによって、私たちは私たちのリアリティそのものとならなければなりません。そして、それによって私たちは『マザー』と『ファザー』のステージへと移行します。暦の上での年齢が何歳であれ、私たちは母であり父なのです。私たちはこのニュー・エイジの母であり父なのです。
母と父は子供に対し、面倒を見、教育を施し、誠実な、責任ある大人となることを教える責任があります。同様に、社会の中へと入って行き、『新しい周波数の現実における母と父』という役割を拝命する責任があります。
それゆえに私たちは、真の自分が何者であるのかをまだ思い出していない人々を、誠実にアシストし、面倒を見なければなりません。それらの人々をアシストする方法を完全に認識するために、私たちは次のフェイズに移行する必要があります。次のフェイズは『メンター』と『セージ』です。この指導者、賢者のフェイズで、私たちは自ら望んで、公然とリーダーになります。
私たちが若く幼かったステージから、前へと進み始めると、私たちは自己認識を始め、母と父というセカンドフェイズに私たちは移行します。実際に子供を産んだことがあってもなくても、私たちは皆、この新しい惑星を産み出しています。それから、私たちは指導者、賢者のフェイズに移行し、私たちが学んだことすべてへの完全なる責任を負います。そして、うまくいけば、私たちはガイアの代弁者になることを自ら志願します。
私たちは自らの力に気づき、自らのアセンションを計画し編成する、そのためだけに、ここにいるのではありません。私たちは、ガイアの素晴らしい力と自らを整列させるためにここにいます。この今というあらゆる瞬間の中に、レムリア人、アークトゥルス人、最愛のサナト・クマラ、最愛のクートフーミ、そしてすべての素晴らしいアセンションした存在たちがおり、その存在たちはガイアの彼女のコアで、私たちを喜んでガイドしようとして準備万全でいます。そのガイアのコアの素晴らしい力に、私たちは自らを整列させるために、ここに存在しているのです。
アークトゥルス人がそこにおり、プレアデス人、シリウス人、アンドロメダ人がそこにいます。それゆえに私たちは孤独ではありません。私たちの知覚を五次元まで拡張する必要があるだけです。そして私たちは信じるでしょう。なぜなら私たちは知覚するでしょうから。もし私たちがそれを信じるなら、私たちはそれを知覚します。私たちがそれを知覚することが出来た時、私たちはそれを信じることができます。
私たちは今、信じることと知覚することのサイクルの中に入りました。しかしながら、三次元の肉体と生活の中に存在するという偉大な挑戦は、ときに私たちを落ち込ませることができます。もしそうなったら、『周波数再調整センター』に行くことが必要です。
パート3・周波数再調整センターへと続く。
翻訳: Tatsuhiko